【旧白浜フラワーパーク独自取材】人気キャンプ場閉鎖のワケと今後
本日は白浜フラワーパークに来ていまして、管理人のヨネさんにご登場いただきます!
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目次
人気キャンプ場閉鎖のワケと今後
ご無沙汰しております!よろしくお願いいたします!
お客さんが「タナさんの動画観て来たんですよ!」って言ってくれることがたくさんあって。正直な話「あっタナさんってそんな有名な人だったんだ」って思いました(笑)
そうですね・・タナさんからご連絡をいただいた時はうれしかったです。忙しい時期で自分たちで動画のフィナーレをすることができなかったので、こうやって記録に残していただくのは嬉しい限りです。
どこまで話していいんですか(笑)
白浜フラワーパークの歴史・立ち上げの経緯
キャンプ事業立ち上げの時に僕が入らせていただいて、2015年からなのでちょうど6年目ですね。
そうですね。フラワーパークは50年前くらいからあった施設なんですが、熱海の方にあるバナナワニ園の南房総バージョンみたいな感じでバナナ園とかポピーなんかを見せる施設でした。僕の結婚式は白浜フラワーパークでやったんですよ。
ここが地元なのでもともと白浜フラワーパークを知ってはいました。地元の人って上の国道は通るんですけど、白浜フラワーパークの方まで降りて使うようなことはなかったんですよ。結婚式で改めて使わせていただいて、「こんな広大で素晴らしい場所があったのか!」と衝撃を受けました。
観光花園は昼間で終わるコンテンツなんですが、でも一番綺麗なのは夕日と夕日からの星空。本当にここはすごい良いなと思って。でも、その頃はキャンプに興味がなかったんですよ。
いまだにテント持っていないですよ(笑)
たまにお勉強でテント持っていって、キャンプ場を回ったりはするんですけど、あえて自分で休みにキャンプ場には行かないですね。お客さんを見回りながら一緒にキャンプしているような感じでしたね。
もともと外部的にやらせてほしいという話から入ったんですけど、いろいろ社長の事情もあって、面倒くさいから中入ってやらせてくれという話になりました。
ちょうどその頃は観光花園の事業がだんだん降り気味だったので、ちょっとチャレンジしてみるかっていう良いタイミングだったんですね。
僕はいま34歳ですね。だから29歳とか28歳の時に始めましたね。
激動でしたね!僕って辛かったこととか大変だったことっていうのをすぐに忘れてしまうんですよ。でも、振り返ると5年間休む暇なく、作り上げていったなという感じですね。本当にいい経験をさせてもらいました。
言えないこともいっぱいありましたけどね(笑)
いろいろチャレンジして・・給料には見合わないくらい動いていて・・みんなは僕がオーナーの親族だったり身内なんでしょ?と勘違いするくらい動いていました。結果としてお客さんがどんどん付いてきてくれたので、無駄じゃなかったなと思いますね。
キャンプ場閉鎖の経緯
うーん、どこまで言っていいのかな。上のジャングルパレスというホテルが母体としてあって、下は僕が管轄してやらせてもらっていたんですね。2か月くらい前の6月24日に上の母体に全員呼ばれて・・
社員・パートさんあわせて8人ですね。上の母体から打ち合わせしようよと言われたことは1回もなくて・・組織としてはたぶん超崩壊しているんですけど(笑)
上の母体から呼ばれるなんて6年間で初めてやぞ!と。なんかあるなと思ったんですよ。コロナや台風があって経営がめちゃめちゃ上手くいっているわけじゃなかったんですけど、なんとか夏まで行こうぜという話で僕らは本気で進んでいたので・・・
それで上の母体に行ったら全然知らない人たちが待ち受けていて・・
そうですね。それで大体察しましたね。株式譲渡で会社を譲って・・売却と一緒ですよね。新しい会社がキャンプ事業をいい形でやらせてもらえるんだったら、それはそれで更によくできるかなって考えもありました。でも、「キャンプ事業をやることはない」と。8月末でキャンプ事業は閉鎖ですと最初から言われてしまいました。
そうです。決定事項として言われてしまいました。会合自体は10分くらいで・・その後、交渉はしていったんですけど結果としてキャンプ事業はもうやらないっていうことになりました。
そういうことです。みんな首を横一列に並べてスパッと斬られるみたいな。こんな事あるんだなと思って。再雇用もないです。2か月前に告知ということで8月末まで・・全部仕組まれて告知されたなって感じですね。
僕は6年前から働いていただけなので、好き勝手やらせてもらって感謝もありました。ただ、10年以上働いていたおばちゃんとか、もっと長いスタッフもいるので、そういう人たちも一斉に告知だったので人道に反していると思いましたね。すごい、かわいそうでしたし悔しかったです。
キャンプ事業継続の交渉
まずはキャンプ事業を続けられないかと交渉しました。2か月後に終わると決まっている状態でスタッフたちのモチベーションをどうやって保とうかということは悩みました。僕は最終日までお客さんと会えるというモチベーションと、最後までけじめはつけないといけないと思って、夏まで絶対にやろうという思いになったんですけど・・若い人たちは次を考えないといけないじゃないですか。
そんな中でどうやって今までの仲間で、最後に夏を見せられるかなっていう交渉は本当にしました。どうせ最後なら最初から一緒に作り上げてきたスタッフと夏を迎えたいなと思っていたので。本当に悔しかったですけど、数日経てば僕にとってはもう過去なんですよ。
閉鎖を告げられた時の心境
例えば2か月経った今日ですら落ち込んでいて愚痴ばかり言うようでは終わってるじゃないですか。だから、2~3日後にはじゃあもう次は何しようかなって。
そうです。ここをどう終わらせてそして次に俺が何をするか。中途半端に裏切ってしまったお客さんがたくさんいるので、それをどうやって次に繋げて満足させようかなってことを考えていました。
だからいつまでも白浜フラワーパークをどうやったら復活させられるんだっていうことで悩んではいなかったですね。
はい、それしかないだろうと思って。
そうですね。僕こんな感じなんで法律的なこともまったくわからないし、とにかく夏にお客さんを喜ばせたい。もしまた僕がキャンプ事業をやるんだったら、どうやって継続してそのお客さんたちを喜ばせていけるんだろうなっていうことだけしか考えていませんでした。そういう性格なんでしょうね。
タナとヨネさんとの出会い
それNGワードだ(笑)
嬉しいですね。それはよく言っていただくというか、狙ってるわけではないしビジネス的にどうなのっていうことは心得ているつもりなんですけど・・例えば炭トング1本とかを「これいくらですか?」って聞いて下さる方には、「そんないいですよ」ってなっちゃうんですよ。
炭トング1本に50円とか100円とか取るんだったら、綺麗にして返してくださいくらいな感じで。いつもそういうスタンスでしたね。事前にたくさん問い合わせをいただく方もいるんですけど、もう、来な!来な!来たら何とかするから!っていう感じでしたね。
自分たちにできることでキャンプがスムーズになるんだったら、それに越したことはないので。
もともと海沿いでプールがあってロケーションが良いんで、それにプラスアルファでホスピタリティみたいなところを見せられて人気になったのかなとは思いましたね。
改名の理由と台風被害について
最初は10サイトあるかないかで・・冬なんてたぶん6サイトくらいだったんですよ。冬は花畑にして夏にキャンプサイトにしていたので。今は42か43プランくらいかな。名前の語弊もあってはいけないと思って、今年の4月にフラワーパークからオーシャンズに改名したんですよ。
2019年の台風があって花の苗が壊滅してしまって・・南房総の大半の苗が壊滅してしまったような感じで、うちが取引している花の種の会社もハウスが全部やられて、実質冬の花事業ができなかったっていうのも1つあります。それでこれを機にキャンプ事業に切り替えていこうかとなりました。
本当に矢先でしたね。誰が見てもこれからもっと良くなっていくということは見えてましたし、僕自身もあと2年間はいろいろな計画があったので、千葉では15本とか20本の指に入るキャンプ場になれたんじゃないかなって思ってそれだけは残念でしたね。まだまだ夢があったので。
ヨネさんのスタッフへの想い
事実だけを話すといま整理屋さんみたいな人が入っているんですよ。だからもうその人と交渉しても「僕らも9月に閉鎖しないとクライアントに怒られるんで・・」みたいな話なんですよ。次の資本は誰が持つのかっていうのは見えているんですけど・・・
そうです。その人がビジネス的にやる気があまりないような感じですね。
その人とは話せてないです。
そうですね。今はまだその段階で。
経営破綻する前にうまくトンずらしたって感じですね。社長と専務だけが何もせず逃げ出して。
急にというかその事実はもう今年の初めから決まっていたみたいですね。
それでぎりぎり法律上2か月前っていうだけの話で、それが本当に悔しかったですね。台風の被害で骨組みだった上の食堂を直し始めるぞっていうときだったんですよ。よくのうのうと見てられたなって思って。お客さんも手伝ってくれてたのに。
給料はもらっていたんで僕一人が頑張っているなら言う事はないですけど、本当にいろんな人が想いで手伝ってくれて、あの建物が完成したのでそれを踏みにじられたみたいで悔しいです。思い出すと涙がでちゃんですけど・・
今後の展望・未来について
さらに未来!未来のほうがピーワード多いかもしれないですね(笑)
こういうタイミングでバシッと言えたほうが良かったんですけど、正直まだ40%案件くらいしか決まっていなくて・・ただ次もキャンプ場もやろうかなとは思っています。
ブログで告知をさせてもらったときに、いろんな人に手を引っ張っていただいてありがたい話をいただいたんですけど・・・出資金5000万円あります、土地あります、あとは管理人だけ募集してますってことだとまた何年か後にこういうことになりかねないじゃないですか。その可能性があるなら、最初は6サイトくらいかもしれないですけど、自分の会社と借地で1から自分でやろうかなと思っています。
そういうことです。それは今回の事が起こった最初の段階で決めていたことです。おかげさまでいろいろな所からお話をいただいていたんですけど。。
はい。県外からも声をかけていただいたんですけど、なるべく南房総で。。じゃないとキャンプやっている意義が50%くらい薄れるんですよね。この南房総だからやる気満々100%でやってるんです。
やっぱり地元だから。地元の自然を楽しむために東京からこんなに人が来てくれて、夕日とか星空を楽しんでくれてる姿を見られる地元民ってたぶんすごい幸せなんですよ。
だから、南房総で裏切ってしまったので、次も南房総で次のエリアを使いたいなと思っています。
本当に難しいですけどね(笑)山はまだまだあるじゃないですか。でもこのロケーションはないですよ。なくなるって実感して初めて、こんなとこないなって思っちゃいますね。
まだ見つかってないです。徐々に探していって。これが上手くいけばまたいろんな人とやり取りできるかなっていうところはありますね。
そうですね。こればっかりはネットショップやるわけではないので、改めて思いましたね。会社とか上司には固執してなかったんですけど、土地には固執してたんだなって思いました。
海観ながらプールに入れて、夜はナイトプールがあって、バーベキューがあって・・
冬じゃないと角度的に朝日見れないんですよ。ばっちりなタイミングだったと思います。
キャンプ場立ち上げの資金はどうする?
全然貯めてないですよ(笑)
クラウドファンディングは使わないです。いろんな想いがあるんですけど、2017年の台風の時にクラウドファンディングを使って、いろいろな人たちから気持ちをいただけました。
それで2019年の台風被害の時に2回目は使えないなと思ったんですよ。僕のただのプライドでしかないんですけど・・今年もやられちゃいました、またクラウドファンディングくださいーみたいな、それはちょっとダサいなというか。会社としても自力でできないのかよと。やればグッズを買ってくれる人はいると思うんですけど、人の想いを費やさせるってのは僕はあんまり好きじゃなくて。
ここでは自由にやらせてもらってましたが、人のお金と人のふんどしでとってた相撲なんですよね。次やるときは3年間自分のふんどしでできて、じゃあ山にもキャンプ場を作ろうぜってなったらクラウドファンディングでもいいかなって思っています。
みなさんはここのヨネしか知らないので、3年間小さくてもいいので経営者としてのヨネを見ていただいて、そこでまた僕みたいな人間に出資してくれる方がいるんだったらお願いしたいなと思います。
本当にありがたいです。いろんな人からクラウドファンディングでやろうよとか、桁が違うレベルのクラウドファンディングや出資の話もありましたし。ただ、こういう終わり方だったのでクラウドファンディングは懐に納めておいてもらおうかなって。
タナさんもそうですけど、小さい飲食店でも自分のお金でやるっていうのは、昔から天地の差があるなと思っていたんですよ。待遇に文句があるんだったら自分でやれって話じゃないですか。それは自分の胸に最初から刻んでいたので、遅かれ早かれこのタイミングだったんだなって思いました。
こんなことないですよ(笑)台風・コロナ・リストラですからね。
僕それ以外ないですからね。本当にコロッと忘れちゃうんですよ。2度も台風被害をお客さんに支えてもらって、お客さんがいなかったらたぶん諦めていたでしょうし。そういう大変さもすぐに忘れちゃって・・久しぶりにホームページを振り返って過去の写真を見ていたら、めっちゃ大変だったなってようやく思い出すくらいユルいんですよね。だから、また次にチャレンジしちゃうんでしょうね。
こうやって最後に来ていただいて、インタビューとかフラワーパークの作品として残せるっていうのは僕としては大歓迎でした。面識もない人が「登録者数何万あるYouTuberですけど最後にいいですか?」だったら絶対に断ってました(笑)いろいろな繋がりがあったタナさんが来てくれて本当に嬉しかったです。
もちろんです!